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お金

ほしいもの

欲しいものの話と、手に入れたものの自慢と、いらなくなったものの供養をする場所をつくりました。

 

欲しいもの:お金

 

なるべくたくさんお金が欲しい。と誰もが思っていると信じて疑わないのですが、違いますかね。

私は、基本的にはお金が好きで、できたらお金持ちになりたいと思っています。どんなときでも隣の人よりもたくさんのお金を財布に入れていたいし、残高を気にしなくて良い預金口座が欲しいし、何もしないでもお金が増えていったらいいのにな。

世の中のほとんどのものはお金と引き換えに手に入るので、何かを手にいれるときには、その代わりにお金が減ってしまいます。とても悲しい。

なので、コストパフォーマンスという指標は大好きです。しかしコスパに惑わされてイケてないものを買ってしまうことも多い…。

 

お金を手にいれる

私はサラリーマンなので、基本的には時間と引き換えにお金を手に入れています。同年代の女性の平均より時間あたりの単価が高く、今後の期待値も高い。この事実はわたしのちっぽけなプライドを満たしていて、自分の存在価値の大きな部分を占めていると思っています。

この文章を書くためにブログを作ったのは、大部分の欲望を満たす根幹を支える、お金を手にいれること=仕事に対するモチベーションを見直したいなと思ったからです。

私はお金が好き、お金は仕事をするともらえる、ではどんな仕事でどのくらいのお金が欲しいんでしょうか、ということを明確にしたいと思いました。

いつまでにこういうものが欲しい、なので今はこの仕事をするべきである、

もうそこまでいらなくなったので、この仕事は必ずしもする必要はない、

そういうのが自分でコントロールできているのがあるべき姿だと思っていて。

 

私は大変怠惰な人間で、放っておくと苦しまない代わりに幸せも変化も望まず苔が生すような生活に流れ、生きる意義を見失いがちです。簡単にいうと引きこもって寝てインターネットの無料記事を読み続けます。水くらいはたまに飲む。油断すると三週間くらいは休日ぜんぶそんな感じになります。それが心から幸せならいいんだけど、そのうちに罪悪感でいっぱいになるんですよね。

別の機会に仕事がしたくない話もするのですが、なんというか自分の「欲」さえ自分でしっかり意識してあげないと能動的に生きられないんですよね…。

下手に結婚してしまって、そのうち養われることができるのではないか?という選択肢が頭をチラつくものいけない。なおさしたる理由なく養われたとすると、少なくとも直近は、世帯収入が半減ってレベルではすまないので、物欲やらを手放してそれこそつましい暮らしをすることになるのですが、それって本当に本当に心の底から私(と配偶者)が望んでいる姿なんでしたっけ、ということをしっかり考えないと。

ていうかつましくやるなら二人とも仕事半分にしたほうが平等だしハッピーだよね。一人で暇でもインターネットの無料記事を無限に読むだけだし。でも、仕事半分にしてできた時間で「やりたいこと」やるのにお金っていらないんだっけ?なんてことをぐるぐる堂々巡りするんです。

 

使うお金を減らす?

使うお金を減らしたら手元に残るお金が増えますね。幼稚園児でもわかる。

ああ、私はお金が好きなんだな、と自覚したのとほぼ同時期に「ミニマリスト」という生き方をしている人のことを知って、実践したこともありました。いらないものを手放し、無駄なものを手に入れない生活は非常に快適だということは体感できました。でも結局は、将来もずっとお金を使わない生活が幸せだという確信は持てず、いつか何かに使うお金を稼ぐために仕事は続けるんだなと思いました。結果、短期目標が見えなくなっちゃって、仕事のモチベーションが下がりました。

総じてあんまりハッピーじゃなかった。

 

必要かつ欲しいものは全て手に入れて、それでも有り余る富と時間

やっぱこれでしょ。「あるべき姿」。

まずは欲しいもののことを考えて調べて、ブログまでかけちゃう熱量があるものを手に入れて喜んで、それでお金が足りないとなったら頑張って働いて、気づいたらお金が余っているといい。余るほどお金があるなら、今度は欲しいものを使う時間が欲しくなるから、仕事をする時間を減らす努力をする。気づいたら好きなものに囲まれてやりたいことをやっている時間が長くなっていて、そんな人生って幸せなんじゃないでしょうか?なんて。

 

2016年はかなり低空飛行で投げやりに生きてしまったので、せめてむきだしの欲望を晒して、2017年を迎えたいと思います。

今日からいっぱい欲しいもののこと考えますね!